さてはてメモ帳さんのサイトより
http://satehate.exblog.jp/16957190/
<転載開始>
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1005-1.html#12
戦後教育で失われたもの森口朗・著 新潮新書 2005年刊
●GHQは何に墨を塗らせたか
「教育の民主化」の名のもとに、実際は何が行なわれたのか。よく知られる墨塗り教科書を題材に考えてみましょう。
次の物語のどこに墨が塗られたのか考えてください。
太閤記のハイライトに秀吉が信長の死を隠して毛利氏と和解し、明智光秀を討ちに畿内へ引き返す場面があります。
信 長が死んだとき、秀吉は高松城を攻めていました。高松は歴史に名高い「水攻め」にあって落城寸前です。秀吉としてはここで弱みを見せると、毛利方に何か あったと勘ぐられるので下手な妥協はできません。あくまで、強気に城主清水宗治の一命と引き換えに他の城兵の命を救うという条件で和解を迫ります。
この時、宗治は立てこもる兵、その兵と共にいる女子どもに思いをはせ、わが身一つで彼らが助かるならと秀吉の提案を受け入れます。そして、敵味方が見守るなか舞をひとさし舞って、 「浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して」 と辞世の歌を残して切腹しました。
http://satehate.exblog.jp/16957190/
<転載開始>
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1005-1.html#12
戦後教育で失われたもの森口朗・著 新潮新書 2005年刊
●GHQは何に墨を塗らせたか
「教育の民主化」の名のもとに、実際は何が行なわれたのか。よく知られる墨塗り教科書を題材に考えてみましょう。
次の物語のどこに墨が塗られたのか考えてください。
太閤記のハイライトに秀吉が信長の死を隠して毛利氏と和解し、明智光秀を討ちに畿内へ引き返す場面があります。
信 長が死んだとき、秀吉は高松城を攻めていました。高松は歴史に名高い「水攻め」にあって落城寸前です。秀吉としてはここで弱みを見せると、毛利方に何か あったと勘ぐられるので下手な妥協はできません。あくまで、強気に城主清水宗治の一命と引き換えに他の城兵の命を救うという条件で和解を迫ります。
この時、宗治は立てこもる兵、その兵と共にいる女子どもに思いをはせ、わが身一つで彼らが助かるならと秀吉の提案を受け入れます。そして、敵味方が見守るなか舞をひとさし舞って、 「浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して」 と辞世の歌を残して切腹しました。
秀吉は、宗治の首を上座にすえて、「あっぱれ武士の手本」とほめそやしました。
さて、皆さんはこの物語のどこに墨が塗られたと予想しましたか。
「どこも変なところはないのに」とお感じになった方もいるでしょうし、「切腹はまずいだろう」と思われた方もいたでしょう。
答えをお教えする前に、問題をもう一つ。
NHKの大河ドラマが取り上げたおかげで、平家物語は若者にも随分知られるようになりました。古典の授業でも定番として取り上げられる題材ですが、古典の授業など真面目に聞きそうにない若者が、古典の基本ストーリーを覚えるのは喜ばしい限りです。
戦 前・戦中は、現代語訳され小学校の教科書にも掲載されていました。ですから、この時代に教育を受けられた方は、大河ドラマなど見なくとも、素養として平家 物語の名場面が頭に入っています。我々の世代になると「鴨越(ひよどりごえ)の逆落とし」くらいしか知りませんが……。
では、この平家物語はGHQによる「教育の民主化」によってどうなったのでしょうか。
答えは、「全文が墨で塗られた」です。
先の答えも同様です。高松城の明渡しの場面全てが墨で塗られました。
●武士は軍人ではない
なぜ、平家物語も高松城の明渡しも全て墨で塗りつぶされなければならなかったのか。答えは、「武士が軍人だから」です。
その理念が正しいかどうかは別にして、連合国が日本に日本国憲法を押し付けたのは、日本を武装解除し長期的に(できれば未来永劫)弱小国の地位にとどめておくためです。
教育改革も目的は同様です。戦後教育に謳われた平等も平和も民主主義も素晴らしい理念ですが、それらが日本を強国に育てるものであっては困るのです。秀吉の全国統一によって平和がもたらされた側面があろうと、源平の合戦に平家独裁を打ち破る側面があろうと、「軍人である武士」が主人公の物語はすべて学校教育にふさわしくない。これが、墨を塗った側の発想でした。
付 言するなら、武士を単なる軍人と捉えるのは日本史に対する理解が浅薄な証拠です。我が国の貴族と武士の関係は、西洋はもちろん、中国や韓国の文官と武官の 関係ともまったく異なります。武士は有事には軍人ですが平時は文官でもあります。さらには、有事には軍人となるが平時は文官ですらない武士(いわゆる無役 の状態です)もいます。
でも、そんなことはお構いなしでした。 とにかく武士が登場する物語は、ことごとく墨を塗られ教科書から姿を消したのです。
●習俗にも「バンザイ」にも墨が塗られた
墨が塗られたのは武士にとどまりません。日本人なら誰もが知っているウサギと亀の競争の話にも墨が塗られました。
例のウサギが途中で昼寝して、亀に抜かれる話です。最後に勝った亀が「バンザイ」と叫びます。その「バンザイ」がいけないということで、墨を塗られたうえに「ウサギサン」という掛け声に変わっています。
当時の小学生は随分と不自然に感じたことでしょう。
さらには、日本独自の習俗にも墨は塗られました。
「村 のちんじゅの神様の、今日は、めでたいお祭り日。どんどんひゃらら、どんひゃらら、どんどんひゃらら、どんひゃらら、朝から聞こえる笛たいこ。としも豊年 満作で、村はそう出の大祭り。どんどんひゃらら、どんひゃらら、どんどんひゃらら、どんひゃらら、夜までにぎわう宮の森……」
この有名な唱歌は全文真っ黒になりました。
天皇を称える言葉だった「バンザイ」はダメ、神道に由来するお祭りも軍国主義だというのが塗りつぶした側の論理です。こんな感性ですから、正月に神だなを飾る話、坑道に入る鉱員が神だなに向かって無事を祈る場面など、およそ神道に関わる場面はすべて墨塗りになりました。
どの民族であれ、習俗は宗教と密接な関係を持っています。我が国の場合、中世以降多くの人々が郷村の神社の氏子になっていましたから、日本の習俗と神道は切り離すことができません。つまり神道が出てくる場面をすべて塗りつぶすと、教科書から伝統的な習俗がほとんど姿を消すことになります。
我々は、そんな仕打ちを戦勝国に強いられ、今もってこれを「教育の民主化」と呼んでいるのです。
★ひとくちコメント ―― 先の戦争での戦勝国アメリカ(を裏から支配する勢力)が、日本人を骨抜きにするためにさまざまな手を打った中で、最も効果的だったのが教育の改造だったと言えるかもしれません。
正しい歴史を教える教師たちは“公職追放”によって職を失い、路頭に迷うという形で見せしめにされたわけですから、学校はGHQの指示通りに“歪められた日本の歴史”を教える教師だけになってしまったわけです。
こうして、白紙状態の純粋な子どもたちに自虐史観が植え付けられていったのです。
そして、そのような教育を受けた子どもたちが大人になって、社会の中枢をしめることになりました。今度は洗脳された世代が次の世代の洗脳役を担っていくことになってしまったのです。
まさにアメリカ(を裏から支配する勢力)の意図した通りに、この国は骨抜きにされてしまいつつあります。今日では、大半の人は自分が洗脳されていることにさえ気づくことができません。私の周辺でも、ほぼ100パーセントの人がその状態です。 「日本人の脳そのものが、“墨を塗られた状態”にある」と言ってもよいでしょう。
そんな中で、この著者のように真実の情報を発信し続ける人がまだ残っていることに感謝したいと思います。(なわ・ふみひと)
さて、皆さんはこの物語のどこに墨が塗られたと予想しましたか。
「どこも変なところはないのに」とお感じになった方もいるでしょうし、「切腹はまずいだろう」と思われた方もいたでしょう。
答えをお教えする前に、問題をもう一つ。
NHKの大河ドラマが取り上げたおかげで、平家物語は若者にも随分知られるようになりました。古典の授業でも定番として取り上げられる題材ですが、古典の授業など真面目に聞きそうにない若者が、古典の基本ストーリーを覚えるのは喜ばしい限りです。
戦 前・戦中は、現代語訳され小学校の教科書にも掲載されていました。ですから、この時代に教育を受けられた方は、大河ドラマなど見なくとも、素養として平家 物語の名場面が頭に入っています。我々の世代になると「鴨越(ひよどりごえ)の逆落とし」くらいしか知りませんが……。
では、この平家物語はGHQによる「教育の民主化」によってどうなったのでしょうか。
答えは、「全文が墨で塗られた」です。
先の答えも同様です。高松城の明渡しの場面全てが墨で塗られました。
●武士は軍人ではない
なぜ、平家物語も高松城の明渡しも全て墨で塗りつぶされなければならなかったのか。答えは、「武士が軍人だから」です。
その理念が正しいかどうかは別にして、連合国が日本に日本国憲法を押し付けたのは、日本を武装解除し長期的に(できれば未来永劫)弱小国の地位にとどめておくためです。
教育改革も目的は同様です。戦後教育に謳われた平等も平和も民主主義も素晴らしい理念ですが、それらが日本を強国に育てるものであっては困るのです。秀吉の全国統一によって平和がもたらされた側面があろうと、源平の合戦に平家独裁を打ち破る側面があろうと、「軍人である武士」が主人公の物語はすべて学校教育にふさわしくない。これが、墨を塗った側の発想でした。
付 言するなら、武士を単なる軍人と捉えるのは日本史に対する理解が浅薄な証拠です。我が国の貴族と武士の関係は、西洋はもちろん、中国や韓国の文官と武官の 関係ともまったく異なります。武士は有事には軍人ですが平時は文官でもあります。さらには、有事には軍人となるが平時は文官ですらない武士(いわゆる無役 の状態です)もいます。
でも、そんなことはお構いなしでした。 とにかく武士が登場する物語は、ことごとく墨を塗られ教科書から姿を消したのです。
●習俗にも「バンザイ」にも墨が塗られた
墨が塗られたのは武士にとどまりません。日本人なら誰もが知っているウサギと亀の競争の話にも墨が塗られました。
例のウサギが途中で昼寝して、亀に抜かれる話です。最後に勝った亀が「バンザイ」と叫びます。その「バンザイ」がいけないということで、墨を塗られたうえに「ウサギサン」という掛け声に変わっています。
当時の小学生は随分と不自然に感じたことでしょう。
さらには、日本独自の習俗にも墨は塗られました。
「村 のちんじゅの神様の、今日は、めでたいお祭り日。どんどんひゃらら、どんひゃらら、どんどんひゃらら、どんひゃらら、朝から聞こえる笛たいこ。としも豊年 満作で、村はそう出の大祭り。どんどんひゃらら、どんひゃらら、どんどんひゃらら、どんひゃらら、夜までにぎわう宮の森……」
この有名な唱歌は全文真っ黒になりました。
天皇を称える言葉だった「バンザイ」はダメ、神道に由来するお祭りも軍国主義だというのが塗りつぶした側の論理です。こんな感性ですから、正月に神だなを飾る話、坑道に入る鉱員が神だなに向かって無事を祈る場面など、およそ神道に関わる場面はすべて墨塗りになりました。
どの民族であれ、習俗は宗教と密接な関係を持っています。我が国の場合、中世以降多くの人々が郷村の神社の氏子になっていましたから、日本の習俗と神道は切り離すことができません。つまり神道が出てくる場面をすべて塗りつぶすと、教科書から伝統的な習俗がほとんど姿を消すことになります。
我々は、そんな仕打ちを戦勝国に強いられ、今もってこれを「教育の民主化」と呼んでいるのです。
★ひとくちコメント ―― 先の戦争での戦勝国アメリカ(を裏から支配する勢力)が、日本人を骨抜きにするためにさまざまな手を打った中で、最も効果的だったのが教育の改造だったと言えるかもしれません。
正しい歴史を教える教師たちは“公職追放”によって職を失い、路頭に迷うという形で見せしめにされたわけですから、学校はGHQの指示通りに“歪められた日本の歴史”を教える教師だけになってしまったわけです。
こうして、白紙状態の純粋な子どもたちに自虐史観が植え付けられていったのです。
そして、そのような教育を受けた子どもたちが大人になって、社会の中枢をしめることになりました。今度は洗脳された世代が次の世代の洗脳役を担っていくことになってしまったのです。
まさにアメリカ(を裏から支配する勢力)の意図した通りに、この国は骨抜きにされてしまいつつあります。今日では、大半の人は自分が洗脳されていることにさえ気づくことができません。私の周辺でも、ほぼ100パーセントの人がその状態です。 「日本人の脳そのものが、“墨を塗られた状態”にある」と言ってもよいでしょう。
そんな中で、この著者のように真実の情報を発信し続ける人がまだ残っていることに感謝したいと思います。(なわ・ふみひと)
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